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2022年3月
両足院大書院特別展「杉本博司:日々是荒日」
 
 

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東面 ©️Hiroshi Sugimoto/ Courtesy of RYOSOKU photo: Masatomo Moriyama

両足院・大書院におきまして、現代美術作家・杉本博司の襖絵と掛軸を公開いたします。

なお、RYOSOKUのYouTubeでは、襖絵と掛け軸の記録を公開中です。こちらからご高覧ください。

<開催内容>

会 期:2021年11月1日(月) - 14日(日)10:00-15:00(最終入館:14:30)     

会 場:両足院(京都府京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591)

定 員:8名(30分ごと)*事前予約制

鑑賞料:2,000円

*両足院は非公開寺院であり、一般公開は期間限定、完全予約制で、9月1日(水)午前7時より受付を開始します。また会期中は、杉本博司関連書籍、商品を販売します。

*ご購入後のお客様ご都合による変更およびキャンセルはお受けできません。 ご理解いただけますと幸いです。 

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掛軸「日々是荒日」©️Hiroshi Sugimoto/ Courtesy of RYOSOKU photo: Masatomo Moriyama

<展示作品>  

◎襖絵「放電場」8枚、2021年

 

東面

技法:ピグメント・プリント  

素材:和紙(アワガミ・インクジェット・ペーパー)、ピグメントインク  

 

西面

素材:手漉き鳥の子、薄鼠に墨雲母

唐紙制作:かみ添

合計外寸:高さ約1.5〜1.8m、全長約7m

 

◎掛軸「日々是荒日」2021年  

 掛軸「日々是口実」2021年  

素材・技法:和紙に墨

掛軸寸法:H181cm×W58cm  

 

表具(襖絵・掛軸):藤田雅装堂

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西面 ©️Hiroshi Sugimoto/ Courtesy of RYOSOKU photo: Masatomo Moriyama

述懐的略歴

杉本博司|現代美術作家 

 

 昭和23年、東京御徒町に生まれる。22歳で渡米、世の真(まこと)を写せんと志ざしを立て、写真に精通する。剥製の白熊を撮影し、生きとし生けるがごときに見せる「静物」によってニューヨークにて世に出る。その頃、生死の狭間を彷徨う。   

 

 その後映画を写真に撮る、という行為を通して、どんな物語も白色光に還元されるという、虚無写真にて糊口を凌ぐも空腹に足りず、古美術商を営む中、仏教美術に取り憑かれていく。「仏に逢うては仏を殺せ」の臨済録の言葉に触発され、仏に逢うては仏を売る日々を送る。その頃、那智山の那智の滝源流を巡り、神道に惹かれる。その源流が流れ行く先に想いを馳せ、世界中の海を巡る「海景」が始まる。その頃より神仏習合の遺品収集に没頭する。

 

 その後、直島護王神社の再建を託されて、古墳期から記紀神話への過渡的な神道空間として護王神社を再建すると、それ以来建築的設計依頼が続き、建築家も名乗るようになる。   

 

 晩年に至りて「禅人一日忽然として語を下す」で始まる大燈国師墨跡を入手したことにより、書に目覚める。「青天を衝け」題字では書家としての一歩を踏み出す。   

 

 若年時の誓願「世の真を写さん」を追い求め、一生を賭け様々な方法を試みるも、未だこころざし成らず。今、墓穴を掘る思いで、「柑橘山 江之浦測候所」を、我が遺作として建立を続ける。   

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大書院前の庭園 ©️Hiroshi Sugimoto/ Courtesy of RYOSOKU photo: Masatomo Moriyama

 

 

「杉本博司:日々是荒日」− 大書院における襖絵と掛軸

伊藤東凌|両足院副住職      

 

 両足院ではかねてより、これから100年先に受け継ぐ境内について思考を重ねてまいりました。専門道場在錫を経て、両足院でのおつとめを始めたのが2005年。当時は庭園や墨跡の素晴らしさを広めようと尽力しました。やがてより心に寄り添う行動に興味を持ち、ヨガや坐禅を一般の方々が日常生活の一部として体感できるよう定期的に開催を始め、企画展を開催するなど模索を重ね、2018年より境内一帯を次世代につなぐ実践的な試みーRYOSOKUを始動するにいたります。    

 

「宗教と芸術はもともと同じ技術としてのアートで、科学も技術である」という杉本博司さんの言葉と「放電場」として発表された写真作品を初めて拝見した際に、心の中の目に見えない空間性・霊性を感じました。この目に見えない精神を物質化したアートが私の禅への哲学と一致しているように感じ、次世代に受け継ぎたい価値だと直感したのです。題材の「雷」は、科学的に電気であることが証明される以前は、神の怒りであったり、雨をもたらす龍の化身、あるいは怨霊の祟りと考えられていたそうですが、私は闇の中の光が心の中と重なって感じることが多々あり、その閃きが現代を生き抜く想像力の逞しさ、力の象徴にも思えていました。    

 

禅寺の天井や襖に描かれる雲龍図。龍は古代中国では自然の象徴であり、麒麟・鳳凰・霊亀とともに四霊獣とされ、世の中が泰平の時のみ出現すると言われます。鱗は鯉、角は鹿、頭は駱駝、眼は兎(又は鬼)、首は蛇、腹は蜃(蜃気楼を生み出す生き物)、爪は鷹、手は虎、耳は牛に模倣して描かれ、仏の教えをたすける八部衆の一つで龍神であり、説法の雨(仏法の教え)を降らすという意味や、龍神が水を司る神であるため、火災から護るという意味がこめられるとされています。龍が現れる時、風が吹き、雨を降らせ、雷が轟く、想像という我々人間の脳裏に描かれる龍の姿は希望なのかもしれない。そういう想いを杉本さんが制作された襖絵の現代的な表現に感じとっています。  

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